【特集】「南米で10年以上闘ってきた男」 村木 伸二

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02
06月
2014

FC大阪様 提供
写真:FC大阪提供)

FC大阪で選手兼フィジカルコーチとして勤めながら、サッカー選手として今年で21年目を迎えた村木伸二。
21年という途方も無く長い選手人生の中には、ブラジルで過ごした1年間、アルゼンチンで過ごした10年間も含まれている。「高校時代も無名でしたし、選手としては至って平凡です」と話す村木は、池田北高校を卒業後、単身ブラジルへ渡る。「ブラジルではジュニオールのカテゴリーで練習していたのですが、正直レベルが違いました。環境やブラジル人のハングリー精神も含めて、こんな世界があるんだ、というのが印象を受けましたね。朝、昼の2部練習だったので、サッカー以外は寝るだけ。ただ、毎日サッカーだけに打ち込めるという充実した日々でした」

ブラジルでのプロ契約が難しいと悟った村木は、帰国後NEC山形(現モンテデイオ山形)に籍を置くが、プロ契約には至らず再度ブラジル行きを決意するが、ビザの関係もありブラジル行きは断念せざる負えなかった。
とにかくサッカーの国へ、そんな思いでアルゼンチンに住んでいた友人に連絡をとり、寝所の確約を取り付けた村木は、同じ南米のサッカー大国へ渡航するため、朝5時からトレーニングに励んだ後、毎日新大阪駅で新幹線の弁当販売のアルバイトをこなす日々が続いた。
半年間で貯蓄した120万円と帰りの航空券だけ握りしめ、村木のアルゼンチンでの挑戦は始まった。

留学斡旋業者にも頼らず、スペイン語も話せない。現地での知り合いも皆無だった村木は、足繁く通った4部チームの練習生として潜り込み、プロ契約を勝ち取りそうになったこともあったが、観光ビザでアルゼンチン入りしていることもネックになり、プロ契約には至らなかった。
チーム探しに奔走した村木は、朝と夕方に分けて1日に数チームのセレクションを受け自身を売り込み、C.A San Telmoで念願のプロ契約を果たす。
その後、10年間1度も日本に帰国することなく、アルゼンチンで選手として過ごし、永住権も取得していている。

「正直環境や金銭面では厳しかったです。月の収入は日本円で4万円程度。1万6千円程度のボロアパートに住んでいましたし、それすらも払えない時は、ホームステイをしたり、日系人の方の家に住ませてもらったりしました。ただ、後悔したことは一度もありません。10年という期間に、アルゼンチンで会った日本人にも驚かれましたが、私の感覚としてはあっという間でした。生活のためのサッカーではなく”サッカーのための生活”だったので。今でもときどきアルゼンチンに”帰りたい”と思う時があるんですよ」

所属するFC大阪では、フィジカルコーチ兼通訳として若手選手の教育・育成にも携わっているが、村木本人はあくまで選手として現役生活をできるだけ長く続けることにこだわりを持っている。
「友人には金持ちになったり、結婚して幸せな日々を過ごしている者もたくさんいます。でも、私は絶対にそんな周囲に流されません。サッカーができる場所がさえあれば、国、カテゴリー、関係なくどこにでも行きます。私にとってはサッカーがすべてなので」

FC大阪に移籍後、公式戦出場は叶っていないが現在もアルバイトを続けながら、若手選手に交じり真摯にトレーニングに励む村木の姿が印象的だった。今年の8月に41度目の誕生日を迎えるが、村木のサッカーに対する情熱は21年間少しも色褪せていない。

 

村木伸二 経歴集:
池田北高校
Londrine.E.C (ブラジル)
C.A San Telmo(アルゼンチン)
Argentino de Merlo(アルゼンチン)
C.A Acassuso(アルゼンチン)
SanMartin de Burzaco(アルゼンチン)
アルテ高崎
デッツォーラ島根EC
FC大阪

 

この内容の書き下ろしが「南米と日本をつなぐ者達」(ギャラクシーブックスより6月頃出版予定)に収録されます。

(文・写真 栗田シメイ Twitter:@Simei0829

 

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