指導者になるため、ピョン・テフィが選んだアジアでの武者修行

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

05
01月
2016

ASEAN FOOTBALL LINKより

ラオス・プレミアリーグでキーパーとして2シーズンを過ごしたピョン・テフィ。将来、指導者となるために、大学を中退してアジアでプロ選手として経験を積む道を選択した。今季で現役を引退し、来季は日本へ戻って母校のゴールキーパーコーチに就任することが決まっている。ピョンの選択は、「アジア挑戦」の多様な意義の可能性を感じさせてくれる。

-昨季と今季の2シーズン、ラオス・プレミアリーグでプレーしました。ラオスに来た経緯から教えてもらえますか。
大学に通っていたんですが、2年で中退してラオスに来ました。もともと最終的な目標は指導者で、そのためには一度はプロとしてやらなければいけないという思いがありました。高校の頃から周りの人からは「海外に行ったほうがいい」ということも言われていたんですが、あまり興味がなくて。でも、大学では怪我もあって出場機会に恵まれない状況が続いたこともあって、海外に出てみようか、という気持ちになりました。選手としては「最後のチャレンジ」という思いでした。
-高校までは、どういったチームでプレーしていたのですか?
僕は在日3世になるので、日本で生まれ育って、日本のクラブチームや学校の部活でプレーしてきました。小学校の時はクラブチームに入っていて、中学校は部活、高校では水戸ホーリーホックのユースに所属していました。その時はJリーグでプレーしたいと思っていましたけど、トップに昇格することができずに大学へ進学しました。

-大学を中退して海外挑戦を決めたということですが、最初からラオスでのプレーを視野に日本を離れたのですか?
最初はタイにテストを受けに行きました。バンコク周辺のディビジョン2(3部)のチームを中心に練習参加して、一ヶ月半くらいタイにいたんですがチームが決まらなくて。興味を示してくれるチームはあったんですが、やっぱりキーパーに外国人枠を使うチームは少ないので難しさを感じました。それで、練習参加するチームもなくなった頃に「ラオスに行ってみてはどうか」という話をもらって、ラオスへ行くことになりました。
-ラオスでは、すぐにチームが決まりましたか?
最初はラオ・トヨタFCではなくて、別のチームのテストを受けに行く予定でした。それが、ラオスに着いた日にちょうど、同じ頃にラオスに来ていた本間和生さん(ラオ・トヨタFC)の試合があるということで見に行ったんです。そうしたら、ラオ・トヨタFCの2人のキーパーがたまたま怪我と病気で来ていなくて、「試合に出られるか?」と言われて急遽その試合に出場したんです。そうしたら「一週間くらい見たい」という話になって、練習に参加して、そのまま契約することになりました。
-なかなか幸運な形でチームが決まったのですね。
奇跡的に決まった感じですね。とにかく、ひと安心でした。
-ラオスという国には、どんな印象を持ちましたか?
正直、最初に「ラオス」と聞いた時にはタイの地方かと思ったくらいで何も知りませんでした。実際に来てみての印象は、穏やかな感じですぐに気に入りました。僕は大きい都市よりも田舎のほうが好きなので。海外は初めてだったので最初は戸惑うこともありましたけど、すぐに慣れました。食事も住むところも、全く問題ありませんでした。

 

【続きはコチラ】最終的にはJリーグのコーチになるのが一番の目標です

ASEAN FOOTBALL LINK

 

関連記事

「インタビュー」カテゴリの最新記事

こんな話題も

  • date:2016/01/05 13:33