カンボジアで審判ダイレクターを務める唐木田 徹「サッカー環境を見て最初は衝撃を受けた」

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14
04月
2016

ASEAN FOOTBALL Linkより

昨年はワールドカップ予選で初のアジア2次予選進出を果たすなど、成長の兆しが見えるカンボジア。今や、東南アジアでもタイに次いで多くの日本人が関わる国でもある。その中で、最も長くカンボジアサッカーに関わっているのが元Jリーグ審判員の唐木田徹氏。近年は東南アジアのサッカー後進国となってしまっていたカンボジアで、審判ダイレクターとして貢献する唐木田氏に話を聞いた。

-最初にカンボジアに来られたのはいつですか?

JICA(国際協力機構)の派遣で、2008年の5月に来たのが最初です。途中一年空いているので、カンボジアにいるのは6年ほどになります。

-日本の審判員(審判指導者)への要請というのは、他の国からもあるのでしょうか。

JICA以外では過去にシンガポールへの派遣もありましたが、JICAからはカンボジアだけです。これから、他の国からも要請が上がってくればいいと思っています。

-唐木田さんは長くJリーグの審判をされていたわけですが、海外へ出ようと思ったきっかけは何だったのですか?

それは単純に、定年になったのがきっかけです。今は定年制がなくなりましたが、僕の時は50歳で定年でしたから。主な収入源は審判だったので、そのままでは生活できない。どうしようかと思っていた時に、当時、JリーグとJFAの審判委員長をされていた松崎(康弘)さんから話をもらいました。最初は「ある国から要請があるんだけど」という話でしたが、それがカンボジアでした。どこでも行こう、という気持ちだったので即決しました。

-実際にカンボジアに来てみて、どんな印象を受けましたか?

一言で言えば「衝撃」となるのかもしれませんが、驚きを通り越して笑ってしまうようなことが多くありました。たとえば、コーナーキックを左右どちらから蹴ってもいいと思っていたりする。最初見た時は、暑くてボーッとしていて見間違えたのかと思ったんですが、次のコーナーキックでもまた逆側から蹴ったので、これは見間違いじゃないと。あとから控え室で聞いたら、「逆に、なんでダメなの?」という感じなんです。

-本当に基本的なルールから理解していない状況だったのですね。

1972年のアジアカップでは4位になっているわけですから、昔はちゃんとした中でやっていたはずです。それが、どこかでそれを良しとしてしまったんでしょうね。スローインなんかも30メートルくらい位置が違っていても、それで成立してしまっていましたから。

 

【続きはコチラ】カンボジアのU-23以下の世代は面白いですよ

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  • date:2016/04/14 17:27