データサッカーで相手を丸裸にする片山博義氏の原点を探る

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09
11月
2016

片山博義氏

浦和レッズ元監督のゲルト・エンゲルス氏の刺激を受け、17歳の時に高校を中退しドイツへ渡った片山博義氏。ドイツでは8年間の選手生活の後、指導者の道へ進んだ。日本に帰国後は大学サッカーや地域リーグのクラブで指導を行い、昨年は中国サッカーリーグに所属する松江シティFCを率いて、当時JFLの鹿児島ユナイテッドFC(現:J3)を相手にジャイアントキリングを起こし、日本代表選手を擁する川崎フロンターレを相手に善戦を見せる采配を見せた。SOCCER NOWでは片山氏のデータサッカーのルーツや、これまでのサッカー人生についてのインタビューを行い、3回に分けて連載していく。 

−まだまだ日本人が海外で活躍していない時代にドイツに渡った理由は?
片山氏:17歳の時に浦和レッズ元監督のゲルト・エンゲルス氏から刺激を受け、高校を中退してドイツに行くことを決意しました。その頃日本にはまだプロリーグはなく、それでも「サッカーで飯を食っていきたい」という強い気持ちがあったので、夢を抱いてドイツに渡りました。 

 

−高校中退という決断は難しいものだったと思うが、親の反対などはなかったのか。
片山氏:今では感謝の気持ちを口にすることができますが、その当時は自分の夢を叶えるためにドイツへ行きたいと親を説得しました。母親が元宝ジェンヌということもあり、自身の夢を叶えた経験を持っているので理解をしてもらいやすい環境にありました。夢を叶えるための努力であったり、夢を叶えるために環境を変える、違った価値観の人たちと出会うことの大切さを親から話されました。ドイツに渡る前には「棺桶に足を踏み入れるまで、サッカーに関わって生きなさい」という言葉はいただきました。 

 

−ドイツの地へ行って感じたことは?
片山氏:まず天狗の鼻をバキバキにへし折られました。小学校、中学校ではフォワードを務めて、それなりに足も早く得点力もあったが、ドイツに渡るとまったく歯が立たなかったです。スピードも違うし、判断スピードも違う。もちろんフィジカルの強さも違いました。根本的にドイツの選手たちはサッカーを知っていました。でも所属していたチームの監督は自分を見捨てるのではなく、「足の速さを生かしてサイドバックから始めてみれば」というアドバイスを送ってくださり、そこからボランチに転向させていただいた時が自分のサッカー人生のターニングポイントになりました。 

 

−ターニングポイントになった?
片山氏:まずサイドバックの時に監督から「サイドラインの外側に立てば、相手の選手も味方の選手も自分より外にはいない、ここからはピッチ上全ての部分が見渡せる」という話をされて衝撃を受けました。タッチラインの中から見渡せば360度を見渡しながらプレーをしなければいけないが、タッチライン上でプレーをすれば180度の視界で勝負をすることができるということに気づきました。どのタイミングにボールが来たら、相手は苦しいのか。どこにボールが来たら苦しいのかを知ることができました。ボランチをしてわかったことは、2タッチ目でいかにディフェンスの裏へのパスを通すことができるのか。フォワードをいかに前を向かせることができるか、そのタイミングで自分も前を向いてプレーができる環境を作る。この2点の大切さをひしひしと感じました。今はいかにトライアングルを作りながら試合を作っていけるかと言われているが、自分はひしがたが大切だと思います。ドイツ語ではラウテと言います。ひし形は半分にすればトライアングルになるが、ボールの出し手を中心にしたひし形をいかに綺麗に作ることができるか。自分が指導をするうえでトライアングルという言葉を一度も使ったことはありません。 

 

−データサッカーの根源はサイドバックにある?
片山氏:ピッチの大きさは決まっていて、どこに何があればどうなるのかを考えながらプレーをするようになり、それが相手を丸裸にするデータサッカーの根源になっていると思います。 

 

−そこから指導者になったきっかけは?
片山氏:25歳の時に怪我をしてしまい現役を引退することになりました。1、2年サッカーから離れて自動車屋などで働くことになりました。そんな時に日本でW杯が開催されて、チケットを入手して観戦した際に「日本のサッカーの未来は暗い」と感じました。これは今から選手に復帰してなんとかできる問題じゃない。でも指導者なら変えることができるかもしれないと思い、指導者の道に進むことを決意しました。 

 

−なぜ日本の未来が暗いと感じたのか?
片山氏:前線からのプレスであったり、全体をコンパクトに保つなどのことが、ドイツではアンダー世代の選手でもできている。日本の選手たちはまだまだ個の力に頼っている部分が大きいと感じました。今では当たり前にできている部分が当時は全くできていないと思いました。ひとつひとつの戦術を見ても、取り組もうとしている意欲は見えるが、やりきれていない。どうしたらいいのかわかっていないという部分が浮き彫りになっていました。 

 

−すぐに指導者を目指した?
片山氏:日本で指導者ライセンスを取ろうと考えたが、まったくつながりを持っていなかったので、それだったらドイツでライセンスを取ろうと思いました。ドイツの知り合いに連絡を取ったところ、ギニア代表選手のパーソナルトレーナーを請け負いながら、 FSVフランクフルトの下部チームでヘッドコーチを任せてもらい、そこで指導者ライセンスをとるための準備をしました。UEFA’Bライセンスを獲得したところで日本へ帰国することになり、現在は日本でA級ライセンスの取得中です。 

 

−なぜ日本への帰国を決意したのか?
片山氏:現在ドイツU-21でコーチをしていて、FSVフランクフルトで僕に指導法や、サッカーについてのあらゆることを教えていただいたラース氏から、「片山はもう独り立ちできるのではないか。ドイツにこのまま居ても日本は弱いなど悪いところばかりを耳にするだけで、良いところを見つけるのは難しい」という話をされて、じゃあ一度日本に戻って指導をしてみようという決意をしました。 

 

次回は日本に帰国後、地域クラブを率いてジャイアントキリングを起こした経緯や、片山氏のサッカー論についての話を掲載いたします。

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  • date:2016/11/09 17:20