【コラム】大阪と、東京と、ダービーと杉本健勇

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04
04月
2012

大阪

3月17日、長居スタジアム。C大阪はリーグ戦では実に9年ぶりに大阪ダービーを制した。J2にいて対戦がなかった時期 も勿論ある(07~09年)のだが、それでも03年からずっと、リーグ戦11試合連続でG大阪に勝利できていなかった。

そんな熱狂のスタジアムで、試合終了と同時にスーツを着た大柄な選手は、自分の車でそそくさと一人で帰っていった。 このダービーでの抱負を多くの選手が「勝利」とする中、彼だけは「試合に出る」と掲げていた。しかしこの日はベンチ外。 彼こそがU-23日本代表の杉本健勇である。

C大阪サポーターからは勿論だが、それだけでなく日本の多くのサッカー関係者に期待を抱かせる杉本が帰っていく 姿は、寂しさと悔しさが感じられた。

すると次節・川崎戦の27日当日、翌日からの東京Vへの期限移籍を発表した。約4カ月の短期移籍であり、 報道では五輪メンバー入りを目指してのこととされた。五輪代表は、確かに原則1クラブから3人までの選考とされるため、 清武・山口・扇原と五輪レギュラー候補がいるC大阪では厳しいものがあった。(杉本移籍後の3月30日にFIFAが五輪招集 に応じるようクラブに義務化したことはどう影響するか現時点ではわからないが)

東京V側は、3月19日の練習中にFW巻誠一郎が怪我。顔面骨骨折で全治3カ月と診断されたこともあり、巻と同じく 高さのある杉本(東京Vには杉本竜士もいるが、以下、杉本)の加入はベストな選択であった。

しかし杉本が移籍しての初戦は、新しいダービー『東京クラシック』と、またしても『特別な』ダービーが立ちはだかった。 東京クラシックとは、町田と東京Vの対戦を言うが、なぜクラシック(=長い歴史を誇る)なのか。それは両チームの 歴史にある。かつて静岡の清水市(現・静岡市)に続く、『サッカーの街』とされた町田市の象徴として、 発展してきたFC町田は、育成年代で実績があり、名門・読売(現・東京V)と凌ぎを削ってきた。 日本クラブユース選手権では80年代後半に、2年連続で決勝戦で激突。そんなことからクラシックとなっているのだ。 ただトップチームに関しては、今まで天皇杯で一度対戦したのみであり、2008年まで関東リーグにいた町田からすると、 東京Vは雲の上の存在であった。しかし2012年町田がJリーグに昇格し、J2という舞台でいよいよ対戦することとなった。

杉本はこの4月1日の試合でベンチ入りを果たす。試合開始前よりスタジアムの雰囲気は凄かった。J2のスタジアム基準ぎりぎりの町田市立陸上競技場、 観客は6,000人強。それでも最高の雰囲気なのである。これには、東京V一筋だった平本一樹や、元東京V監督のオズワルド・ アルディレスが、町田にいることも作用していただろう。

前半は、圧倒的に町田のペース。東京V・川勝監督が「最悪の前半」としたように、町田の勝又慶典を中心とする攻撃に対応を追われ シュートすらほとんど打てなかった。

すると東京Vは、後半開始から飯尾一慶に代えて杉本を投入した。後半1分、この早い時間に東京Vの阿部拓馬が豪快なシュートを決めたことで、 東京Vがペースを取り戻す。だが後半20分に、町田の北井にファインゴールを決められて1-1の同点。 互角の戦い、並んだスコア、それと共に両チームの1点目の素晴らしさが、なおもスタジアムを加熱させた。

同点になってからも、東京Vペースは続く。杉本は前線で高さを活かし、どんどん町田ディフェンスの背後にヘディングでボールを供給する。 町田にあまり高さがないことを差し置いても、余りある活躍だった。

そして迎えた後半32分。

西紀寛のコーナーキックから、杉本がジャンプヘッドで合わせて勝ち越しに成功した。杉本に集まる東京Vの選手たち。 移籍4日目の選手とは思えないほど、手荒い祝福を受けた。

その後も杉本はヘディングで競り勝ち、ジョジマールがGKと1対1となるパスを供給する。ゴールこそならなかったが、スタジアムの中心には 背番号41がいた。そしてこのまま試合終了。結局、杉本のゴールが、記念すべき最初の東京クラシックを決めた。

試合終了後には、東京Vサポーターの元へ駆けつけ、マイクでスタンドへ挨拶。スタンドの最前列にくるサポーターひとりひとりと握手を行い、 東京Vのサポーターの心を早くも鷲掴みにしていた。その背中は充実していた。つい2週間前に長居で見た彼の背中とは全く違った。

本人が「嬉しかった」と言う通り、健勇コールが長く鳴りやまなかった。 試合後に、川勝監督が「(チームの出来が悪く)腹が立って、頭の血管が切れそうな試合だった。」と、怒り心頭だったが、杉本の質問に 関してだけは「能力はもともとあるから」と表情をやわらげていたのが印象的だった。

第2の都市・大阪のダービーでは日陰にいた彼が、首都で行われた東京のダービーで主役になった。

 

私は人生とは、サッカーとはそういうものなのだと、19歳の背中に教えられた。

彼ならロンドンのピッチで、また主役になってしまうのではないだろうかと真剣に思う。

 

<金谷元気>

 

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